校舎の生まれ変わり

この学校には、一度、人の名前がついていた

閉校記念のビデオに、学校沿革誌を写した場面があります。そこに、こう書かれていました。

大正三年(一九一四)
千田・広の二小学校合併、高等小学校を併置して、千田大河原尋常高等小学校設立

学校の名前に、人の名前が入っている

千田大河原尋常高等小学校。

ビデオのナレーションは、こう続けます。全国的にも珍しい、個人名を冠した学校名であった。大河原氏の莫大な献金による、と。

同じ年に、二階建の校舎が一棟、平屋が二棟建っています。運動場も広げています。大正3年の山あいの集落で、これだけのものを一度に建てるお金が、どこから出たのか。

ひとりの人が出した、ということです。そして地域は、その人の名前を学校の名前にすることで返した。

100年後に起きたこと

2017年に閉校したあと、この校舎は公募にかけられました。手を挙げたのは、この学校の卒業生です。

地域の人が校舎をつくり、地域の人が引き取り直した。 100年の間隔を空けて、同じことが二度起きています。

やっていることを一行で説明しろと言われたら、たぶんこれが一番短い説明になります。

名前は、そのあと消えた

「千田大河原尋常高等小学校」は、のちに「千田尋常高等小学校」へ改称されます。大河原の名は外れました。

制度が変わったからで、地域が忘れたからではないと思います。ただ、名前が消えたぶん、この話を知っている人はもう多くありません。私たちも、閉校記念ビデオを最後まで見るまで知りませんでした。

校舎の中で仕事をしていると、ときどきこの話を思い出します。100年前にここにお金を出した人は、100年後にここでBBQをやっているとは思っていなかったはずです。それでも、建物は残りました。

注記

この記述の出どころは、閉校記念ビデオの中に映る沿革誌の一葉です。山鹿市史などでの裏取りは、これから進めます。誤りがあれば直します。

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